パニック障害は仕事が原因

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私がパニック障害になったのは、30代半ばの仕事が乗りに乗っていた時期でした。その頃は毎日忙しく、家につくのは0時を回っており毎日タクシー帰りをしていました。仕事柄、出向社員のメンタルフォローを行っており多いときで40名のフォローを電話や対面で行っていました。

 

もちろん仕事はほかにもありましたが、夜中の2時過ぎに電話がかかってきて出向先での待遇や人間関係の愚痴や不満を聞かされ続けることもしばしばでした。また、営業がとってきた案件から出向社員の出向先を決めることも多かったので、ブラックな出向先に当たってしまった社員からは「お前のせいでこんなことに・・・」という言葉を浴びせられたり、何も言わなくてもその空気が伝わってきたり、ということもありました。

 

そのほかにも私は同僚の男性から入社以来パワハラを受けていました。

私にだけ分かる形でパワハラをするのです。他の人の前ではかばったりすることもあっても、私との二人きりのときや、酷いときには客先でも嫌がらせをしてきました。

 

上司にも何度も相談をしましいたが、いっこうにとりあってもらえませんでした。

それでも、やりたい仕事のために転職した会社だったので、パワハラと一部の出向社員との軋轢に悩みながらも仕事に精をだしていました。

 

そんな生活が2年ほど続いた師走のある日、会社でパソコンでメールを打っていると、急に動悸がしてきました。こんなに激しい動悸は初めてで、何だろう?と思って席を立ちトイレで動悸がおさまるのを待ちましたが、いつまでたっても動悸がおさまりません。それどころかだんだんとひどくなり呼吸も苦しくなってきました。

 

これは本当にやばいかもしれない。一瞬死の影がよぎるのを感じた私は、上司に伝えてその日の仕事はすべてキャンセルし、家に帰りました。家につくころには動悸は少しずつ収まってきていましたが、不安でしたし、会社に説明するためにも心療内科に受診しました。

診断の結果はパニック障害とうつ病と診断されました。すぐには受け入れられない、まさに晴天の霹靂という診断でした。

 

翌日、上司に伝えるとすぐに休職の手続きに入るからと言われ、すぐに産業医が呼ばれ、仕事はすべてほかの社員に振り分けられました。産業医と面談後、ドアを出てすぐに産業医が「どうしてあんなになるまでほっといたんですか!」と上司が言われているのを聞きました。

 

そんなにひどかったんだ、私の症状って・・・。自分でもまだパニック障害と信じられませんでした。こうして2か月間休職したのち復職しましたが、元の仕事には戻れず私も出向社員となりました。

 

タクシー帰りが続いていたころ、女性の運転手と話がはずみ、聞くと息子さんを過労死で亡くした方でした。帰り際、「会社は命の保証まではしてくれないのよ。無理は絶対にだめよ。体の声をきいて、自分の体は自分で守ってあげてね。」と言われたのをふと思いました。

 

やりたい仕事は失ったけど、命は残った。やりたいことはこれから出会えるはず。この時はつらい出来事でしたが、心に余裕をもたせて生き方を見直すきっかけとなった経験になりました。今は動悸に苦しむこともなく、人生でやりたいことも見つかって少しずつやり始めています。

 

人生あきらめなければなんとかなるんだなと今振り返って思えます。いつもどこかに出向社員のことを悩みながら仕事をしていました。

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